言葉にできない感情を託す 映画レビュー『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
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ハンドメイドファンの中にも愛好家の多い、ぬいぐるみ。飾ったり、一緒に寝たりと愛で方は人それぞれ。人知れず話しかけている方も、いるのではないでしょうか。今回はそんなぬいぐるみと、ぬいぐるみに話しかけている人々を描いた映画作品『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』をご紹介いたします。
あらすじ
恋愛として好きという気持ちがわからない。恋愛の話題になると目をそらし、悪ノリ混じりの「男らしさ」や「女らしさ」を前面にしたノリがどうしても好きになれない、京都のとある大学へ通う大学生の七森。入学時のオリエンテーションで同期の女性、麦戸と意気投合し友達になる。ふたりは新入生勧誘用のチラシの中から「ぬいぐるみサークル」に興味を持ち、見学に行くことに。そこは部室の壁一面に設置された棚には様々なぬいぐるみたちが飾られている、ぬいぐるみと話す人たちが集うサークルだった───
大前粟生の同名小説を本作が商業映画初監督の金子由里奈が映画化。(2023年/配給:イハフィルムズ)
ぬいぐるみから得られる“癒し”

一見して子ども向けの玩具のイメージが根強いぬいぐるみは、近年推し活のアイテムとして大人にも人気。かねてからの愛好家に限らず、ぬいぐるみを愛でる大人の存在はSNSなどを通じて以前より多く見られます。筆者もぬいぐるみを愛好するひとりで、あまり公言はしていませんがぬいぐるみに話しかけることもあります。
ぬいぐるみの持つ癒しの効果はセラピーとして用いられることもあるほど。脳への刺激が少なくなることで進行するといわれている認知症に対しても、ぬいぐるみへ話しかけることで脳への刺激に繋がり寂しさの緩和にもなるそうです。
ぬいぐるみと“話す”こと

七森と麦戸が門戸を叩いた「ぬいぐるみサークル(以下ぬいサー)」の面々は、どこか生き難さを抱えているようだった。当初ぬいぐるみを作るサークルだと偽っていたところ、偶然に部員がぬいぐるみに話しかけているところをふたりが目撃。驚きはしたもののふたりは拒絶することなく、静かに、いつもぬいぐるみにどんな話しをしているのか尋ねたのでした。
人に言えない辛さや悲しみといった悩みの吐露、その日あった何気ない出来事、優しい声掛け……そんな部員からの返答から、ひと言にぬいぐるみと話す、と言ってもみんながみんな同じようなことを話しているわけではないことがわかる。周囲の大切な人を思うからこそ、話せないこともある。相手に話すことで心配をかけるかもしれない、変だと思われるかもしれない、もしかしたら傷つけてしまうかもしれない……そんな風に思うから、ぬいぐるみに話しかけている。
生き難さを抱えて生きている人はきっと少なくない。筆者も10代に差し掛かる頃から、気付けば生き難さを抱えていて、ぬいサーの面々の気持ちは少なからず共感できるものがあった。「こんなことを言ったら、また変わっていると思われる」そんな風に飲み込んだ言葉が鉛のように体内に堆積していく感覚は、今でも忘れられない。そんな時にぬいぐるみに吐露したら、きっと幾分か楽になったことだろうと思います。
そう考えると本作はぬいぐるみ愛好者だけでなく、今、少し疲れてしまっていたり、生き難さを感じている方にも観てもらいたい作品です。
さいごに
筆者の祖母が晩年かわいがっていたいくつかのぬいぐるみは、祖母が亡くなった際一緒に棺におさめました。その際おさめきれなかった1体のぬいぐるみを祖父が引き継ぎ、かわいがっている様子を見ていると、寂しさを埋めてくれる、ぬいぐるみの持つ癒しの効果を感じずにはいられません。
ハンドメイドで作られたぬいぐるみたちもきっと、お迎えされた先で愛でられ、遊んでもらいながらお迎えした方を癒しているのでしょう。
ぜひ、ぬいぐるみが好きな方や制作されている方、そしてちょっと疲れてしまっている方は『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』をチェックしてみてください。