沖縄土産の定番 美しき琉球ガラスの歴史
目次
日本有数の観光県、沖縄。今回は沖縄の美しい海や美味しい食、文化に触れた旅のお土産の定番である「琉球ガラス」の歴史についてご紹介したいと思います。
はじまりは明治時代
沖縄でガラスの製造が始まったのはおよそ100年前、明治時代の中期といわれています。
それまで沖縄で使用していたガラス製品は本土でつくられたものを運び入れていたのですが、輸送の途中でどうしても割れて破損してしまうことが多かったそうです。
それをきっかけに始まったのが沖縄でのガラス製造。長崎や大阪のガラス職人たちを招き、主にランプに使用する“ホヤ”や駄菓子、漬物といった食品を保存するためのビンを作っていました。
第二次世界大戦による被害
この時はじまったガラス製造はその後第二次世界大戦とともに大きく変化します。
1944年10月の空襲により、ガラス工房も多かった那覇市は焦土と化してしまったのです。ガラスを製造するための資源はおろか、工房自体を失ってしまったのです。
その後終戦を迎えた後、1947年頃に沖縄でもガラスの製造が再開しましたが物資の不足はガラス製造用の資源も同じで、職人たちは原料不足に悩まされていました。
そんな時に彼らは沖縄に駐留していた米軍関係者が廃棄する、酒瓶やジュースのビンに目を付けた。
これを使用することで琉球ガラスの復活が叶い、今の琉球ガラスのおよそ3割程度を占めるといわれている、再生ガラスを使用したガラス製造のはじまりとなりました。
現代の琉球ガラスに
1972年、沖縄が日本へ返還されました。その記念に開催された「沖縄海洋博覧会」をきっかけに一気に沖縄観光が当時のブームに。
お土産物の定番が現地の工芸品であることは今と変わらず、琉球ガラスも多くの観光客の目に留まり手に取られたことで、定番のお土産品として定着したそうです。
1998年にはお土産品に留まらず沖縄の「伝統工芸品」に指定。職人数名が「現代の名工」を受賞するに至りました。
琉球ガラスの美しい「泡」
琉球ガラスの美しい特徴のひとつはガラスの中に閉じ込められた泡。まるで海の中で輝く気泡の粒のように、キラキラとグラスを彩っています。
再生ガラスはその制作過程で、原料となる廃ビンのラベルの剥がし残りなどの不純物が残りやすく、この不純物があることで気泡が出来やすくなってしまう。第二次世界大戦での原料不足ではじまった再生ガラスの持つ特徴でもありますが、今では琉球ガラスとしての味になっています。職人たちが味になるように昇華させたと、筆者は感じています。
さいごに
沖縄の美しい海と楽しい思い出を持ち帰る。そんな意味での素敵なお土産としておススメの琉球ガラスには、職人たちの復興の歴史がありました。
ぜひ沖縄県に足を運んだ折には、お土産としてぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

