編み物の思い出と阪急電車 コミックレビュー「阪急タイムマシン」
目次
- 1.あらすじ
- 2.“好き”の思い出
- 3.心くすぐるアイテムと阪急電車
- 4.さいごに
あなたがハンドメイドを本格的に好きになったきっかけは?ご家族の影響、誰かに憧れて……中には子どものころの出来事がきっかけで、という方もいらっしゃるかもしれません。今回は編み物を愛するある二人の女性と、彼女たちの子どもの頃にまで遡る友情のかたちを描いたコミック、『阪急タイムマシン』をご紹介いたします。
あらすじ
人付き合いが苦手で、職場の同僚との会話にも引け目を感じてしまう主人公の野仲さん。彼女の楽しみは通勤中、阪急電車の車内で大好きな編み物作家「FIKA」の本を眺めること。
せっかく誘ってもらった同僚とのランチでも上手く話せなかったある日、阪急の電車内でFIKAの本と同じニットを身に纏う女性に出会う。自分を変えたいと話しかけた相手はなんと、小学生の頃に一緒に編み物を楽しんでいたかつての友人、サトウさんだった。
久々の再会に彼女との楽しかった思い出に浸っていると、どうやらサトウさんにとってはそうではなかったようで……
『阪急タイムマシン』(切畑 水葉/KADOKAWA/2021)
“好き”の思い出
“推し”という言葉の台頭とともに、何かを好きになって打ち込むことにたいしてポジティブなイメージが強くなった昨今。好きなことにまつわる思い出もそうかといわれると、そうではありません。
野仲さんにとって、子どもの頃のサトウさんとの思い出は編み物を通して友情を育んでいたあたたかい思い出。しかしサトウさんにとって彼女との友情はあくまでも苦い思い出で、出来ることなら完全に忘れ去ってしまいたいようなものでした。
好きな編み物や作家業でうまくいかない時、ふいに頭をよぎって立ち止まってしまう足かせのような思い出。忘れたくても忘れることが出来ないからこそ、思い出に負けないよう編み物作家FIKA(フィーカ)として今日まで励んできたのです。その結果、FIKAの作品はFIKAの人となりをあまり出さなくとも作品そのもので、人の心をつかむことが出来たのだと思います。野仲さんも作品に心をつかまれたひとりでしたね。
心くすぐるアイテムと阪急電車
野仲さんが勤める雑貨店の小物たち、FIKAのニット作品……『阪急タイムマシン』のストーリーに彩を添える魅力的なアイテムも作品の見どころです。
タイトルにもなっている阪急(阪急電鉄)は大阪府、京都府、兵庫県を結ぶ関西に実際にある鉄道会社。野仲さんの通勤経路などの多くの場面で登場します。「外っ側はマルーンというえんじ色、そんで中は木目の壁 みどりの椅子」と、物語のスタートも阪急の電車内の風景からでした。レトロな印象の電車内の描写は作品のもつあたたかな雰囲気を演出してくれています。
野仲さんの勤め先が雑貨店というのも、心くすぐられるポイントです。ハンドメイドを愛すると同時に、かわいい雑貨にも惹かれてしまうかたは特にハンドメイドファンには多いのではないかと思います。筆者もどうしても憧れてしまう夢のひとつとして、「雑貨店を営んでみたい」と口にしたのは一度や二度ではありません。その雑貨店は市販品以外に、誰かの手でつくられた手仕事の品も店先に並ぶようで、従業員同士の雑談として陶器の窯元の名前も登場します。
そしてなによりも、サトウさんがFIKAとして発表しているニット作品の愛らしさといったら。作中で野仲さんが手にしている本の中やサトウさん自身が身につけているニットは、マンガという白黒の世界でも鮮やかに感じる素敵なデザイン。筆者は編み物は嗜んでいないのですが、もし編み物も趣味のひとつであったら、再現してみたい。特にふたりの再会のシーンでサトウさんが着ているパンジーのニットは、柄が大きく大胆で、実物として目にしてみたいデザインです。
さいごに
日常的に阪急電車に乗車する機会がある関西圏のかたは、「ああ!この駅か」なんて作品を身近に感じながら読み進められる作品でもありますが、そうでない方でも大人の友情を描いた作品として楽しめることと思います。さらにニッターならば、読んでいるうちになにか編みたくなるかもしれません。
1巻読み切りで手に取りやすく、少し胸がぎゅっとなる、あたたかで優しい作品でした。次第に寒くなるこれからの季節におすすめです。