【風さんぽ】長野善光寺
目次
- 1.光と日常の間で
- 2.朝事に身を置く
- 3.人と歴史に触れる時間
- 4.光と日常の間で
光と日常の間で
こんにちは。ある・みるスタッフFUUです。
今回はお世話になっている株式会社サフィックスさんのイベントのために長野へ。
一度行ってみたかった善光寺の朝事(あさじ)。
季節によって始まる時間が異なるので、事前の確認は必須です。
夏季は特に早く、徐々に空が色を変える早朝、時計の針が4時を回ったところでホテルを出発。
善光寺の参道を歩くと、ひんやりとした空気が肌をなで、遠くから僧侶の読経がかすかに聞こえてきます。灯りに照らされた境内は凛とした緊張感を漂わせ、自然と背筋が伸び、身が引き締まります。
朝事に身を置く

「朝事」とは、善光寺で毎朝行われるお勤めのこと。
観光のためではなく、暮らしの中に自然に溶け込んだ祈りの時間です。
境内では、顔見知り同士が朝の挨拶を交わし、僧侶の読経が頭を垂れる人々の上を厳かに流れていきます。
その様子を見ていると、自分の中にある日常の雑念が、少しずつ解けていくような気がしました。自分を見つめながら、同時に自分から離れていく——そんな不思議な感覚が、そこにはありました。
人と歴史に触れる時間

朝事は2名の住職が、昇堂と退堂の際にそれぞれ2回、計4回お数珠で参拝者の頭をなでる儀式です。多くの方が参道で待っていましたが、お寺の方に教えていただいてより近い廊下で待っていると、隣には鎌倉から来たというご夫婦。そこへ、朝事に20年以上も通い続ける地元の紳士が加わりました。
彼が指差したのは、鐘の近くに残る柱の傷。「昔、大きな地震で鐘が落ちてできた傷なんですよ」と微笑みながら教えてくれます。
朝事を受ける人々の列は僧侶の歩く参道にも続きます。
歴史の重みと、人々の祈りが積み重なった場所。
やがて僧侶の数珠がそっと頭に触れると、言葉にならない安らぎが心の中に広がりました。
光と日常の間で

数時間もすれば門前の店が開き、観光の人々が行き交う善光寺。
ただ、今の静けさと祈りに満ちた時間は、どこか異世界のような雰囲気です。
日常の忙しさの中では決して味わえない、心の余白を感じられるひと時。朝の善光寺は、心の旅路の始まりのようでした。
