甘くておいしいチョコレートの歴史を深掘り!
2月14日、かつて恋人たちのためのイベントだったバレンタイン。現在は友チョコや自分へのご褒美チョコといった恋人たち以外にとっての「チョコレートの日」になって久しく、ハンドメイドのモチーフになるお菓子の中でも大変人気です。
今回はそんなチョコレートの歴史について学んでいきたいと思います。
チョコレートのはじまり
チョコレートの原料といえばカカオ豆。カカオ豆の発見は紀元前にまで遡るといわれており、はじまりから歴史の長さを感じさせます。
紀元前3500年頃からエクアドルでカカオ豆は扱われはじめ、紀元前1500年頃にはメキシコ湾岸沿いにてオルメカ人によるカカオ栽培がはじまりました。「カカオ」の語源も栽培をはじめたオルメカ人の言葉「カカワ」であり、「神様の食べ物」としてとても高価なものでした。アステカやマヤの時代ではカカオは通貨でもあり、当時の価値の高さが伺えます。当時ドリンクとしてつくられたチョコレートを口に出来たのも王族や戦士といった力を持った者だけ。
チョコレートはヨーロッパへ
16世紀初頭スペイン人のコンキスタドール(征服者)は、現メキシコのアステカ帝国皇帝が力の象徴であるチョコレートドリンクを愛飲している様子を、当時の回顧録に「よく泡立てた上質のカカオが入った大きな器が50杯以上も運ばれ、皇帝がうやうやしくそれを飲んだ」などと記しています。皇帝が飲んでいた当時のチョコレートドリンクは、すり潰したカカオ豆にとうもろこしの粉やバニラ、スパイスなどで香りをつけていたそうです。
商人たちや聖職者などにより、チョコレートはやがてアステカからスペインへ伝わり、はじめは滋養のためや薬として飲まれていました。しかしアステカでの飲まれていたチョコレートドリンクの味は独特でスペイン人の口には合わず、蜂蜜を入れて甘くしたものが貴族者社会で話題に。砂糖の普及と共にチョコレートドリンクにも砂糖が使われるようになり、1600年頃にイタリア、そしてフランスとヨーロッパで広く広がっていきます。
“飲む”チョコレートから“食べる”チョコレートへ
イギリスにチョコレートが伝わると、政治家や富裕層の特別な社交場として「チョコレートハウス」が登場。とても高価なチョコレートドリンクが提供されていました。それに伴いホットチョコレート用のポットや食器などがつくられるようになり、次第に社交場から一般市民へとチョコレートが普及していきました。その後、オランダの科学者ヴァン・ホーテンが「もっと飲みやすく出来ないか」と1828年にカカオを原料とした「ココア」を考案しました。ヴァン・ホーテンの発明をもとに、イギリス人のジョセフ・フライが現在のチョコレートの原型である「板チョコ」を発明したのです。
現在のチョコレートへと進化
ジョセフ・フライが発明した板チョコレートは苦味が強く、広く普及するきっかけになったのはスイスでチョコレート製造業を営むダニエル・ピーターでした。彼はスイスで1867年に発明された粉ミルクを使用した「ミルクチョコレート」を1876年に誕生させました。
甘く口当たりの良いミルクチョコレートは一般市民の中でも広がり、18世紀末ごろに日本にも伝わります。
当時日本は鎖国の最中。唯一の外交の門戸を開く長崎に伝わった際は「しょくらとを」と呼ばれていたそうです。国内の販売は明治に入り、1877年になってから。当時の新聞にも「猪口令糖」の文字を見ることが出来ます。全国に「猪口令糖」が広がったのは大正に入ってからで、チョコレート産業が成長したのは第二次大戦後。
こうして現在のチョコレートへと歴史が繋がってきたのです。
さいごに
世界中に広まっていく過程で用途も味も変化し、進化していったチョコレート。普段スーパーやコンビニで気軽に購入できるものですが、こんなに歴史が深かったとは驚きました。
歴史を知ることで、ハンドメイドモチーフとしての理解や新たなインスピレーションのきっかけになると幸いです。