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【旅中に出会う日本人】

ある・みる座談会にも登壇したことのある旅のプロフェッショナル 田中さんの旅コラムです。

旅をしていると、異国の地で日本人に会うこともある。

個人的には長ければ長く旅をしているほど、同じ日本人に会えた時の感動は大きいように感じる。

 

同じタイミングで同じような場所にいる日本人というのは自分と価値観が似ていることが多く、その後も話が盛り上がったり、急に仲良くなったりすることがある。

同じような境遇であるバックパッカー同士だと、たいして会った回数が多くなくても、急に「あれ?親戚でしたっけ?」ってほど仲良くなったりもする。

お互いにありのままの部分を見せ合っているからではなかろうか。

 

今回は、異国の地で出会った日本人たちとのエピソードについて紹介したい。

 

スペイン バレンシア

 

バレンシアに行った目的はトマトを投げ合うカオスな祭り「トマティーナ」への参加であった。

 

私は「トマティーナ」に前夜祭から参加しようと意気込むも真逆の最終電車に乗ってしまい、一晩見ず知らずの駅のベンチで寝て過ごした挙句、やっと帰ってきたバレンシナ駅にて1時間に1本しかない会場行きの電車を乗り過ごしたところだった。

散々である。

「もう既に帰りたい。」そんなことを思いながら私は駅で立っていた。

 

そんな時に出会ったのが日本人バックパッカー6人組であった。

最初こそ1人でハッピを着込み、やつれた顔なのにハイテンションで話しかけてくる私に6人はドン引きしている様子だったが、一緒にトマトまみれの祭典に参加することに。

日本人には理解しにくい謎の熱狂の中、7人が7人とも全身トマトまみれ、2人は服もビリビリになって祭典は閉幕した。

 

「わたし、夏野菜ですから!」と猛烈な勢いで身体を冷やしてくるトマトを、近隣住民が高値で貸してくれる冷水のシャワーで洗い流し、ブルブル震えながら電車に乗った時には、もう我々は仲良くなっていたのだから不思議だ。

 

打ち上げと称してアルコールを飲み浸った当日の晩は、私にとって数ヶ月ぶりの日本人との“飲み会”であった。

 

その後私は、6人のうちの2人と共に3人でアフリカを旅し、その2人のうちの1人と共に旅を続けることになる。

そんな相手が現在の妻だ。

 

あの時逆方向の電車に乗っていなかったら、あの電車が最終電車じゃなかったら、会場行きの電車に乗り遅れなかったら、彼女とは出会ってないのだから、人生には何が起こるか分からない。

 

他のメンバーとも変わらず仲が良く、家に遊びに来る際には何も言ってないのに泊まる気満々でやって来る。

冷蔵庫も好き勝手に開けるし、話しながらソファに寝転ぶ奴もいるが何とも思わない。

いや、やっぱり冷蔵庫は勝手に開けるな。

 

日本で出会っていれば、1日の時間でこんなに仲良くなっていただろうか。

そもそも、日本であればこのメンバーが出会うことがあっただろうか。

人と出会うことは、やはり旅の醍醐味の1つである。

 

エジプト ダハブ

 

エジプトのダハブは、有名な“沈没スポット”の1つである。

“沈没スポット”とは放浪の旅をしているはずのバックパッカーが、何故か長い間1つの場所に留まるようなスポットのことで、他にはタイの「カオサン通り」なんかがスポットとして有名だ。

 

だいたい「宿泊費や物価がとにかく安い」「治安が良い」「日本人が多い」などの条件が重なると“沈没スポット”は生まれやすい。

 

ダハブ周辺の治安は山賊もいるほどで良くないが、海に近いダハブは外国人向けの小さな観光地と化しており、相対的に治安のオアシスめいた場所になっている。

紅海でのダイビングスポットとしても有名なダハブは「世界で最も安くダイビングライセンスが取れる場所」の1つであり、私もライセンスを取るべく2週間近く滞在していた。

“沈没スポット”として有名なのは巨大な日本人宿なのだが、日本人宿が好きでない私は、更に金額の安い別の宿に宿泊していた。

 

しかし宿にはダイビングの教師として日本人のおっちゃんがいた上に、私と同時期にライセンスを取ろうとしている同世代の男性が同部屋にいたので、結局日本人に囲まれて過ごすことに。

さらに日本人宿の屋上には日本料理を提供する名物おばちゃんがいたので、結局我々は日本人宿に通って過ごすことになるのであった。

 

「日本人宿は好きでない」と言いつつ、朝起きてすぐ日本人の友人と話しながら朝食を食べ、ウェットスーツに着替えてダイビングをしに行く毎日はたいへん楽しかった。

 

同部屋の男性は「ダハブで日本人の彼女が欲しかったのに、おっさん2人と毎日ダイビングしてる」と悲しんでいたが、思い通りにいかないのも旅なのだ。

ペルー プカルパ

 

ペルーのプカルパには、たくさんの思い出がある。

全く移動せずに過ごした場所としては、私と妻が最も長い期間滞在していた地がプカルパだ。

というのも我々がプカルパにいた頃、ペルーは新型コロナウイルスの脅威を排除するため海外との出入国を禁止し、ペルー国民も外出を制限されていた。

 

結果として都市間の交通網も遮断され、アンデス山脈を越えたジャングル近郊に位置するプカルパは、陸の孤島となってしまったのだ。

日本政府は飛行機の臨時便を用意してくれてたが、臨時便そのものの価格も、アンデス山脈を超えるバスのチャーターの価格も高く、我々は帰ることもできずにいた。

 

宿の屋上からアマゾン川を眺めながら

 

妻「川のほとりのあそこの空き地にさ、手作りで家建てて暮らそうよ。

  材料費くらいはあるでしょ。そのうち店出そう。私たちならやれるよ。」

 

思い切りの良すぎる妻のアイデアが日に日に現実的になる中、領事館からメールが来た。

メールの内容を要約すると

 

領事館『我々ももう日本に帰るので、メールできるのはこれが最後です。

    実はプカルパには、あなた達の他に4人日本人がいます。

    割り勘してバスをチャーターできるのでは?

    それでも帰らないなら、もう帰る方法はありません。」

 

とのことだった。

こんな街に他に日本人がいることに衝撃を受けた我々は領事館から日本人の連絡先を教わり、実際に会ってみることにした。

 

いたのは「手作りのイカダでアマゾン川を下っていた男性2人組」「地元民が作ったジャングル内の農園で過ごしていた飲食店経営者」「人類史を研究し、フィールドワークに訪れていた研究者」という異色過ぎる日本人達である。

 

日本で過ごしていたら絶対に出会わない面々であるものの、何故か弾む会話。

研究者の男性は研究が台無しになったことに落胆していたが、我々は共に日本に帰ることとなった。

あの時プカルパから日本に帰っていなければ、我々夫婦は今ごろアマゾン川のほとりに住んでいたかもしれない。

 

まとめ

 

旅をしている最中は、これまでの人生で経験しなかったことを経験しがちである。

そんな人生にとって濃い時間の中で、出会う人というのはとても貴重な存在だ。

 

その人たちの存在が自分の人生をコロっと変えてしまうかもしれないし、変わらないことを確認できるのかもしれない。

 

行ってみて、出会ってみて、人と比べて人と話して、そうして“自分”を確立していくのも人生なのかもしれない。

 

タカタナカ