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【みんながみんなキャンパーだ】

いつ頃からか”キャンパー”という言葉が世間に浸透し始めた。

 

文字通り「キャンプをする人」という意味だが、たとえキャンプをしている真っ最中だとしても、なんとなく自分のことを「どうもキャンパーです」と気軽に言えないのは何故だろうか。

 

想像してみて頂きたい。

週末に楽しんだキャンプについて職場の同僚に話していたところ

 

「へ〜◯◯さんってキャンパーなんですね」

 

と言われると

 

「いや…別にキャンパーってわけじゃ…」

 

となってしまわないだろうか?

 

これは何故だろう。

「キャンプをする人」なのだから普通に「そうだねキャンパーだね」と肯定して良いはずなのに、なんだか否定してしまう。

 

もしかすると“ガチキャンパー”と同類にされたくない。というようなキャンパーを避ける思惑もあるかもしれない。

しかし私の周囲では

 

「いや、すごい人はもっとすごいし…」

「自分なんてキャンパーってほどじゃないんだけど…」

 

というような“キャンパー”という称号が持つ、どことなく上級者っぽい響きに遠慮し敬遠するような、予防線を張る人が多い印象だ。

 

そこで、今回のテーマは「そういうのやめません?」という話である。

 

そもそもキャンプって

 

「キャンプをする人」がキャンパーなことは分かった。

しかし待て待て。説明文に既にカタカナが入っているではないか。

 

そもそもキャンプとは何なのだろうか。

Wikipediaによると本来キャンプというものは、遠征をする軍隊が野営する際などに用いられる言葉だったらしい。

 

現代のような、レジャーとしての近代キャンプが誕生したのは1861年のアメリカ。

 

教師のフレデリック・ウィリアム・ガンが「人類の大半が過去に経験した屋外生活を再体験する」という目的で実施したのが始まりだ。

 

つまり最初は「ご先祖さまがやってきた、自分たちのルーツを知ろうよ」という教育の一環であったものを、それそのものに楽しみを見出した人たちがレジャーとしてやり始めたのがキャンプなのである。

 

そう考えてみると「キャンプとはこういうもの」だとか「あの人はこんな凄い道具を持っている」だとか、ルールめいた縛りや他人と比較することにはあまり意味がないのかもしれない。

 

だってそもそも原始時代にはスノーピークもノースフェイスもないのだから。

 

むしろ大切なのは何かを学んだり、感じたり、考えたり、楽しんだり、自分の心に浮かぶ直感的な感情なのではないだろうか。

 

もちろん私も、他人のキャンプを参考にして、次回以降のキャンプに活かすのはとても有意義だと考えている。

しかし、どれだけ凄いキャンプを目にしたって、だからと言って「自分のキャンプ」を下げて遠慮する必要などどこにもないのだ。

 

あなたが「最高に楽しい!」と感じるキャンプは、間違いなく「最高に楽しい」キャンプなのである。

 

まとめ

 

私も沢山の格好良いキャンプ道具を持っている人や、毎週のようにキャンプをしている人と出会うと「すげぇ…!あれが上級キャンパーか…!」と感動するし尊敬する時もある。

むしろそうやって他のキャンパーに刺激を受けることは大切だと思う。

 

しかしどれだけ安いテントを使っていても、初めてのキャンプでも、自然の中でリラックスした時間を過ごせたなら、あなたが立派なキャンパーなことは間違いない。

 

むしろ、テントなんてなくても自然の中で落ち着き、自分を解放できる人ならもはやキャンパーではないかとすら私は考えている。

 

キャンプには優劣も階級もない。

もしも日常生活に疲れたなら、見慣れた部屋でだらだら過ごすのではなく、自然の中で1人のキャンパーになってみるのも良いかもしれない。

 

タカタナカ

 

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