タナカタカの無人島キャンプPart2
私は妻と2人で、ある夏の4日間を無人島でキャンプをして過ごした。
その際の様子を以前にも記事で紹介したのだが、今回は前回紹介しきれなかった点も踏まえ、もう少し我々の「無人島キャンプ」を深掘りして紹介したい。
「無人島キャンプ」を行うにあたり、苦労したのは「島探し」であった。
ネットで検索しても出てくるのは「無人島体験ツアー」のような情報ばかりで、本当の無人島を紹介しているものは見当たらなかった。
結局当時関西に住んでいた我々はアクセスの良い瀬戸内海に目星をつけ、Googleマップを使って島を1つずつ拡大して探したのである。
私が考えた理想の島の条件は
・人が来ない
・淡水を汲める川がある
・薪になる木が生えている
・テントを張れるビーチがある
の4つ。
上空から何度も島を拡大して吟味を重ね…
「ここだ!」と選んだ理想の地には、上陸すると川もなければ岩ばかりでビーチもなかった。
更に木が生えているエリアには崖を登る必要があるという、
もはや私は何を吟味していたのか自分でも困惑する島であった。
更に出発前に私がこだわっていたのは「サバイバル」である。
楽しそうに食料を買い込む妻に対し
「サバイバルをしに行くのに食料など不要!!」
と豪語し、漁の為の銛のみを持って行ったのだが、実際は妻が隠し持っていたパスタがなければ死んでいた。
そんな中でも少しずつ野生を取り戻していったのは前回の記事の通りだ。
私は必死で漁をする内に海に適応し始め、浮く身体を抑える為に片手で岩を抱きながら潜る独自のスタイルを身につけた。
(どうしても浮くのは体脂肪率の問題ではないと信じている。)
ある日少し離れた所に漁船がいる状態で海に潜っていると、明らかに弱っている大きな魚が目の前に現れた。
おそらく漁船に傷つけられたもののなんとか生き延びたのだろう。自然界で傷付いた生き物に待っているのは死である。
それはサバンナでも海中でも変わらない。
魚は私が近づいてもほとんど逃げることなくそこにおり、まるで死を待つその身を私に差し出してくれているように見えた。
私は心の底から感謝しながらその魚を銛で突いたのだ。
テントに戻ると、「大きな魚が獲れた時の為」とまたも隠し持っていた白ワインでアクアパッツァを作ってくれた妻にはもはや驚きを禁じ得ないが、全ての身を我々だけで食べるのは申し訳ない気がして、少しの身と骨は調理せず海に返したのであった。
大きな魚のおかげで蓄えができた我々は住居の拡張作業に乗り出す。
暑い上に座る場所もない我々の拠点をリフォームしようと試みたのだ。
流木を拾い集めて柱にする。
漂着していたブルーシートを屋根にする為だ。
地面は岩だらけなので石をどけて棒を刺し、固定する為石を積んで固めていく…長い時間をそんな作業に費やした。
まるで城の石垣を築く職人の気分である。
苦労の甲斐もあり、棒はしっかりと地面に突き刺さった。
さてと、自慢でもするか。
そんな心持ちで妻が担当している柱の方へ向かうと…
彼女は少しずつ石を掘り出し、とてつもなく深い穴を作っていた!!
石を積むよりもより一層地道な方法だが、流木はアスファルトで固めたのかというほど強く固定された。
当時は頑なに認めなかったが、彼女のやり方こそが正解だったのだ。
もし同じ境遇になった人は嫌がらずにしっかり穴を掘ろう。
何故ならこの後私が刺した棒は強風で折れることになる。
まさか初のマイホームを無人島に建てることになるとは思ってもみなかったが、新居では石積み職人としての経験を活かし、石を積んで塩釜も作ってみた。
海水を蒸発させて思い出に塩を作ろうと思ったのだが、これがなかなか難しい。
我々が手に入れられる木材は細い枝がほとんどだった為、火が保たないのだ。
枝を集めては塩釜に放り込み、コーヒーを飲む為に火を燃やし、どれだけ集めてきても足りない。
同時に、我々の快適な生活を維持する為、どれだけの木材とエネルギーが必要なのかも考えさせられた。
夕方にはコーヒーを持って夕日を見るのが島での日課だった。
もしずっとこの島で暮らし、毎日のようにこうして火を燃やしていたら、
きっと1年も経たずにこの島から木はなくなるだろう。
島での生活は、現在の地球環境の縮図のようだ。
無人島で生活する、というと、我々にとって厳しい状況が沢山ある。
毎日の食事を摂ることも、快適な居場所を確保することすらままならない。
しかし自分の身ひとつしか頼るものがない、生き物としての本来の姿そのものとも言える。
同じ命に助けられ、失敗から学び、自然と共存する方法を考える。
自然のそばで過ごしていると、そんな経験をすることが沢山ある。
身の回りに当たり前のようにある物は、果たして本当に当たり前なのだろうか?
我々は今、最も基本的なことを考え直すべきなのかもしれない。
タカタナカ