キャンプと電気〜もしもそこにポータブル電源があったら〜
電気のありがたみ、感じてますか?
不思議な導入から始まってしまった今回の記事は「電気」について書かせて頂きたい。
冬になると急に布団のありがたみを感じるように、不足するまでそのものの“ありがたみ”というものは感じづらいのが世の常だ。
生まれた時から電気を浴び、その恩恵を受けまくっている我々だが、やはり不足することがないのでそのありがたみを普段は意識しない。
しかし我々の生活から突然電気がなくなったらどうなるだろうか?
おそらく世界中が大混乱するだろうが、当然電波もなければ海中ケーブルに流す電気もないので、大混乱していることすら情報が届かないので分からない。
こんなに電子機器が増えてネットワークも確立されたのはここ100年ほどの話なので、人類史的に見て何の問題もないはずだけれど、私自身「世界の終わりだ!」と叫ぶこと間違いないだろう。
さて本題。
これから、私がこれまで経験した「電気のないキャンプ生活」エピソードを紹介する。
そこにもしもポータブル電源があったら…!?と想像してみるのは如何だろうか。
もはや考えるだけでありがたいではないか!
日常と違うリアルなエピソードを基に、普段享受しているだけの電気のありがたみを再確認し、その可能性に改めて気付こうという試みだ。
是非頭の中で想像しながら読んで頂きたい。
最初に紹介するのはアフリカでのキャンプだ。
ここは電気がないといえど国立公園内のキャンプサイトだったので、日本で行うキャンプとさほど違いはないだろうと思う。
違いといえば柵の向こう側に野生の象やキリンがウロウロしてることくらいだ。
(ここでは柵に囲まれているのは人間の方なのである。)
夕飯時、料理係の妻はハッシュドビーフを作り、私は火起こし係、とにかくステーキが食べたいという知人はステーキ係として各々一斉に仕事にあたった。
しかし焚き火台に備え付けられた網は狭く、ステーキ係は「端っこだけ焼けていく」と焦り、料理係は「全然煮込めない」と不満を漏らしたのである。
火起こし係の私が出した解決策は「なるほど!もっともっと火を強くすればいいのか!」。
火起こし係の張り切りで火は燃え上がり、熱さでステーキ係が逃げ出した結果肉は黒焦げになった。
ステーキ係が悲しい目をして干し肉のようなステーキをかじっていた姿が今も鮮明に目に浮かぶ…
違った。
問題は火力ではなくスペースだった。アフリカのサバンナも思いのほか朝と晩は寒い。
夜、どうしても温かいものが欲しい我々はワインをボトルごと焼け残った焚き火に突っ込むという暴挙に出た。
今思い返すとビンが割れていてもおかしくない。
何故こんなことをしたかというと、電気も何もない場所で温かいものを飲むには一度焚き火で湯を沸かすしかないからである。
朝、太陽を眺めながらコーヒーでも…
と思った時にも火起こしから始めなければならないので、優雅にコーヒーを飲む前に長い時間が必要であった。
でももし、そこにポータブル電源があったら…!?
なんということだ、なんてありがたいんだ!!
ポータブル電源があればそもそも調理場は焚き火台だけではない。
IH調理器を持ち込んで、ハッシュドビーフはそこで煮込めば良いだけのこと。
ステーキ係もあんな悲しい目をせずに済んだだろう。
同じように湯煎をしてホットワインを作ることもできたし、コーヒー用のお湯も沸かせたはず。
いや、そもそも電気ケトルを持ち込めば1分待てばお湯ができるじゃないか!
なんてありがたいんだ電気!なんて進化しているんだ人類!
やはり不足した時に初めてありがたいみが分かるものなのだ!
さて、もはや充分電気のありがたみは分かった気がするが、次の舞台はペルーのジャングル奥地。
場所は首都のリマからアンデス山脈を超え、アマゾン河を船で上った先にある集落だ。
集落から少し離れた場所に住んでいる一家の敷地内を使わせてもらっていた。
ジャングルは自然がいっぱいで気持ちも晴れ晴れとするのだが…
本当にやることがない。
珍しい動物に遭遇したりもするのだが、何しろ充電がないので写真も撮れない。
人にもあまり会わず、ただハンモックに揺られて過ごすやけに活発なニート生活を送っていた。
唯一の楽しみは「時間になったらご飯食べに来ていいよ」と言われていた一家のご飯!!
楽しみで仕方ないのだが、それも充電がないので時間が分からない。
早く行くのも催促してるようで申し訳ないし、遅く行ったら本当に残飯しか残ってなくて辛い。
そういうところ彼らは容赦ない。
私は日時計を作ろう!と試み、空き箱に棒を刺して影の場所を計測し始めたのだが、どんどん時間がずれていく。
後ほど調べてみると棒に傾斜が必要だそうで、ドヤ顔で一家に日時計を説明した私は恥をかくことになった。
ジャングルでの貴重な日々は一家の机を借りて日記にしたためていたものの、日記を書くのもロウソクの火が頼り。
夜は真っ暗なのでロウソクがなければどこにも行けなかった。
でももし、そこにポータブル電源があったら…!?
スマホを充電できるので、あの貴重な日々をもっと写真に残すことができただろう!
電波がなかったが、街の方に下りれば日時計の作り方も検索できたに違いない…
いや、そもそも日時計など作らずとも時間を確認できるので「あら今日は遅かったね」と差し出された、ほぼ具材が残っていないスープで空腹をまぎらわす必要もなかったはずだ!
ライトを照らせば日記も書けたし、そもそも紙じゃなくパソコンに残すこともできたろう。
ご唱和ください。
あぁ電気よ、なんてありがたいんだ!!
ここまで電気のありがたみを振り返ってきたが、いかがだっただろうか。
私はポータブル電源と共にキャンプワーケーションをしたことでポータブル電源の虜になっているだけで、別にエジソンの信者でも電力会社からの回し者でもないので安心して欲しい。
ただ今回の記事で、普段から電気に多大な恩恵を受けていること、自分たちがそのことにあまり気づいていないことを感じて頂けたら幸いだ。
しかし真髄はもっと深いところにある。
それは、あくまで電気は我々のパートナーであり、電気がなければ生きていけなくなるような関係は健康的ではない、ということだ。
恋愛関係に置き換えると分かりやすい。
地球環境を破壊するCO2等の有害ガスは、発電によって生み出される割合が多い。
電気はとてもありがたい存在だが、その為に地球に住めなくなったら元も子もない。
キャンプ中のポータブル電源のように、電気と適度な距離を保つ心掛けが大切なのかもしれない。
タカタナカ